3歳ごろから吃音症を発症して、その後30年以上闘ってきたぼくだから伝えられることがあると思うんや
ぼくは言葉を話し始めた頃から吃音症に悩み、30年経過した現在も吃音症と闘っています。今でも何かしらで毎日何度かどもりますが、生活に支障のない範囲まで克服することができました。
このブログは子どもの成績を上げることを主なテーマとして扱っていますが、今回は4記事に渡って吃音症に対して今までぼくが感じてきたこと、そして同じ悩みを持つ吃音者への助言を紹介します。このページは、その最初の記事です。
吃音症はほとんどの人にとってなじみが無い障害ですが、実は吃音症ってすごく恐ろしい障害なんです。初回は、吃音症を知らない人でも分かるように吃音症の恐ろしさを伝えます。
この記事を読んでほしい人
- 子どもが吃音で悩んでいる保護者
- 回りに吃音者がいる方
- 吃音症の方
この記事の結論
- 吃音症は軽視されがち
- 苦手なことから逃げることが許されない
- 吃音症は周囲から理解も配慮もされにくい
- 孤独に障害と闘うことになりがち
- 障害が理由で社会から隔絶され、自ら命を絶つ人が後を絶たないことが吃音症の怖さ
吃音(きつおん)症ってなに?
「どもり」といえば、だれでも一度は聞いたことがあるかもしれません。話し始める際に言葉が詰まる症状です。未就学児の頃に10%前後の子どもが発症し、その後数年でほとんどの子が自然治癒することが知られています。完治するとしたら、この数年間に自然治癒すること以外ありません。しかし未発症の子どもを含めた全体数のわずか1%程度の人たちは症状が固定されてしまいます。この1%にあたってしまうと、生涯に渡って吃音に悩むことになります。
症状が出ても7~9割は自然治癒するんや。症状が残ってしまった1割の人達は多分一生治ることはないで。辛い現実よな。
症状自体は古くから知られていますが、ようやく近年になって原因が分かり始めるなど、まだまだ研究課題が多い障害の一つです。根本的な原因も分からず、治そうにも治療法が確立されていないので完治することができません。
吃音者は話し方が変というだけで、気持ち悪がられて人から避けられたり、からかわれたり、いじめられることを人生で多く経験することになります。
吃音の症状
「ぼくは」と言いたい場合に発症する例
- 連発:「ぼぼぼぼぼくは」
- 伸発:「ぼーーーくは」
- 難発:「っ・・・・っ・・・・っぼくは」
話し始めたときに、これらの症状が単体もしくは複合して発現する障害です。主に文頭で症状が出て、文中や文尾に症状が出ることはありません。ただ、文中で一呼吸した場合は再度話始めるときにどもることがあります。つまり、話始めや一呼吸置いた後で話すときに症状が現れます。
また、言葉を発しようと頑張るときに以下の奇行を行う場合もあります。
吃音者の主な奇行
- 床を強く蹴る
- 強く目をつぶったり瞬きをする
- 手で体や身の回りのものを叩く
発音のタイミングを計るかのようにこれらの奇行を伴うことがあります。ぼくの場合は難発のときに上記の奇行を行うことがありました。相手が子どもの場合など、何も知らない人なら目の前で何が起きているのか理解できません。奇行や変な言葉遣いに気味悪くなり、距離を取ったり、真似るなどからかってみたり、時にはいじめに発展することもあります。
吃音症に限らず、他人と明らかに違う異常行動をとる人はいじめの対象になるねん。会話もできない、会話しようとすると発狂したような奇行に出る吃音症は格好のいじめ対象やな。
吃音者は苦手な発音があります。ぼくの場合は以下の始まり方を苦手とします。
吃音者が特に苦手とする言葉の一例(ぼくの場合)
- 「か行」または「た行」が先頭にくる単語から始まる言葉:きのう、こころ、たまご、たんじょうび、など
- 母音の次に「か行」または「た行」が来る言葉:おつかれさまです、おかあさん、など
ただ、苦手な始まり方以外でもどもるときはどもります。
吃音症の原因
近年、吃音症の原因は脳の機能障害であることがわかってきました。遺伝的な要因も含む先天性の障害である場合がほとんどで、後天的な発症は事故によるものなど一部に限られるそうです。ただ、わかってきたというだけで原因の特定までは至っていません。吃音発症者と健常者との違いは分かってきましたが、どのようなメカニズムで吃音が発症するかが解明されるのはまだ先のことになりそうです。
要するに脳がバグっとるんや。やけどその原理や、根本的な原因が分かるのはまだまだ先のことやで。
日本では古来より吃音症は不治の病として知られていました。ここ100年の間で様々な説や治療法が実践されてきましたが、そのどれも完治できる決定的なものではありませんでした。例えば有名な説では、言語能力が発達する幼児期に左利きから右利きに利き腕を変えることで脳機能障害を誘発されたことが吃音症の原因であると1930年代に提唱されたことがあります。この説はつい最近まで数十年わたって信じられてきました。僕の母もこの説に悩まされていましたが、近年になってようやくこの説が間違っていることが証明されました。
吃音症の治療法
原因が分かっていないので、日本だけでなく世界でも治療法は確立されていません。吃音症の治療のために認可された薬もありません。しかし抗うつ剤などで緊張を緩和することで吃音をある程度改善できることができることがわかってきています。
原因が分からんのやから、当然治療法も分からんし、薬も無いんや
最近まで、もしくは現在も続けている団体があるかもしれませんが、呼吸法や発音練習によって症状の改善を図る治療法が試されてきましたが、そのどれも高い効果が期待できない、または効果が練習場所にいるときだけなど限定的であることが分かっています。
特に吃音症をもつ子の保護者の中には、藁をもすがる思いで様々な治療法を試す人たちもいるでしょう。高額な治療費を払って、完治できなくても少しでも緩和できないかと願う人たちも多いです。少し調べれば出てきますが、そのような人たちをターゲットに対して全く役に立たないような情報商材を高額な値段で売る業者もいます。
緩和する方法は実際にありますが、特に完治を謳うものや治療薬の購入を誘う文句には注意しましょう。
ぼくが感じる吃音症の本当の恐ろしさ
吃音症は知的障害や、目に見える形の発達障害ではありません。そして吃音症でも問題なく暮らしている人が多いため、知らない人からは吃音症は特に問題ないものと軽視されがちです。さらに吃音で苦しんでいる人以上に、吃音から自然治癒した人口が5~10倍など圧倒的に多いので、吃音は自然に治るものと誤解されることが多いです。この軽視こそが吃音症において最も恐れるべき問題です。
子どもの頃に吃音症を発症しても、その7~9割が自然治癒するから、症状が固定されてしまうごくわずかな人は理解されにくいんや。
例えば、国語の授業で行われる音読は吃音者にとって拷問のようなものです。しかし教師は吃音をもつ子を当て、文の区切り方や発音に変な部分があれば、当然のように言い直させます。音読に当てることまでは授業の一環なので分かりますが、ぼくは言い直しをさせられることが本当に嫌でした。何度もどもって教室が凍り付くような感覚を味わうこともありました。吃音者独特のあの「やってしまった感」、そして数少ない友達や同級生の前で醜態をさらす恥ずかしさ、穴があったら入りたいというのは正にこのことです。
これは吃音が軽視された結果の一つだと言えるでしょう。この国語教師に正しい認識があれば、言い直しはさせないはずです。
他人に理解されないし、大人になったら配慮もされなくなる
世間一般の人が吃音をどう思うか、ぼくが世間様の考えをまざまざと思い知ったエピソードをひとつ紹介しましょう。
ぼくが実際に経験した話やで
高校を卒業して、ぼくは防衛大学校に入校しました。強烈な縦社会で、先輩とすれ違ったときには「お疲れ様です!」と敬礼しながら元気にハキハキと挨拶しなければなりません。ただ、「お疲れ様です」は母音の次に「た行」が来る、僕が苦手な単語です。苦手ですが、言わなければなりません。それも一日に数十回も。
始めに紹介した通り、吃音症の人は吃音を避けるために始めの文字を延ばしたり、足踏みなどの奇行を行って言葉を発しようと努めます。時には発しようとする言葉の前に「えー」、「うーん」などの発音しやすい言葉を置いて、どもりやすい言葉をなるべく文頭から遠ざけることで発音を楽にするなど工夫します。しかし挨拶の規則で身振りや言葉が固定されてしまっているので、どの対策も行うことが出来ません。さぁ困ったということです。
ある時、案の定言葉に詰まりました。よりによって同じ中隊で大変怖い先輩でした。ぼくは焦ってさらに緊張し、数十秒言葉につまったままでした。難発の症状です。
「・・・・・・・・・・(「お疲れ様です」って言わなきゃいけないのに!!!)」
お前は何が言いたいんだ!馬鹿にしてるのか!!言いたいことがあるならはっきり言え!!!
ぼくは何度も深呼吸して落ち着いた後、もしかすると理解してくれるかもしれないという一縷の望みをかけて素直に吃音症のことを話しました。するとこういわれました。
意味の分からんことで他人を巻き込むな!誰もお前を理解しないし、気にしたくもない。
ぼくは、彼のこの言葉こそが、世間一般が障害に対して素直に思うことなのではないかと思うのです。極端すぎる例かもしれませんので、彼の言葉を少し優しめに翻訳しましょう。世の中の大半の人は、自分と関係がないことについてわざわざ理解したくないし、関係ないことに対してわざわざ配慮したくないんです。
子どもの頃は学校で配慮してもらえることもあるでしょう。でも大人になったら話は別です。守ってくれる人も居なければ、全て自分で対処できて当たり前だと思われます。自分で対処できなければ、理解もされず配慮もされず、ただ一方的に社会から突き放されるだけです。
社会に出てからは配慮しにくいという側面もある
勘違いしてはいけないのは、世間側に立って考えた場合は吃音者を理解していたとしても配慮することが困難だという点です。障害があるから配慮されるのが当たり前っていう一方的な考えは、持つべきではないと僕は思います。
例えば、一般的な職業に一般的な枠で入社した場合を考えましょう。同僚がみんな同じ給料で働いている中で、吃音者という理由だけで電話を受けなくても良いという特別扱いはできません。もし同僚側の立場だったら嫌ですよね。なんでアイツだけ、給料同じなのにって思われます。職場の規律が乱れてしまったり、チームワークが崩壊してしまう原因になりえます。
もしどうしても配慮して欲しいなら、吃音で障碍者手帳を取ることもできますので、障碍者雇枠で働くようにしましょう。しかし職種は限られるし、多くの場合は出世は望めません。
手続きが大変やけど、吃音障害で障碍者手帳を取ること自体は可能やねん。普通の生活が送れなくてもいいから、とにかく生き易い事を優先したいなら手帳は取った方がええで。
逆に言えば、一般的な職業に就くことを望み、出世を望むのであれば社会に出てから障害を配慮してもらうことは難しいと言えます。つまり、吃音者は普通の生活を手に入れるためには自助努力で改善していく他ないのです。
理解も配慮もされないから孤独に闘うしかない
症状が固定される割合が全体の1%程度なので、学校でも同じ悩みを抱える人は学年に1人いるかどうかです。身の回りの人たちは、たとえ両親であれ吃音への理解が無いか乏しい状態です。
言葉で説明することも難しく、悩みをちゃんと分かってくれる人もいないので、身に降りかかる様々な困難に対して孤独に対処していかなければなりません。
どうしても無理!
と思っても、周囲の人は吃音の深刻さを正しく認識できないので、吃音者は苦手な状況から逃げることは許されません。どうしても無理なことが続き、説明しても分かってもらえない。そんな状況が続いたらどうなるでしょうか。
吃音が固定化した人の4割が社会不安障害になるという調査もあります。
そして、自ら命を絶ってしまう人たちもいます。
実はぼくも、学生の頃に吃音症がきっかけで一人の友達を亡くしてるんや。同じ吃音症のぼくでも気づかん程の症状やったけど、本人は思い詰めてたんやろうな…
吃音症の本当の恐ろしさは、誤った認識からくる吃音症の軽視と、そこから連鎖する周囲の人たちの理解の欠乏、そして理解されない環境の中で孤立していき、自ら命を絶ってしまう程思い詰めてしまうことです。
吃音症の危険性まとめ
吃音は脳機能障害の一つで、9割は先天性の疾患です。
子どものうちに10%程度が発症しますが、その内のほとんどが自然完治します。最終的に1%の人たちは症状が固定されてしまい、自然完治が望めなくなります。
原因や治療法が確立されていない障害ですが、人によって症状の程度の差があること、そして吃音症を抱えたままでも他の健常者と同じように暮らす人も居るため、この障害は軽視されがちです。そのため苦手なことから逃げることが許されないなど、追い込まれる状況になりやすい他、周りに理解できる人も少ないために一人で困難を抱えたまま悩む状況に陥りやすい障害です。
自分が悪いわけではないのに、吃音を治そうにも治療法は無く、何度もからかわれたりいじめられることを経験し、それでも困難に耐えて毎日生きている人たちがいます。もし身の回りに吃音者がいれば、彼らを配慮することが難しい場合はありますが、せめて正しく理解してあげてくれると嬉しいです。吃音症を正しく理解することで吃音者をとりまく環境が改善され、少しでも彼らの困難を和らげることができると信じています。
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